2017.06.15UP 平成29年度 社員総会テーマと今後 弊社の創立記念日は6月1日です。その節目の時節に合わせて、毎年社員総会を開催しています。今年はその総会を藤原幹事長の元、44人のゲストをお招きし、料理が美味しいと評判?の国際ホテルで開催しました。テーマは『The Next Stage』です。藤原幹事長が柄にもなく横文字で今後目指すものを表現してくれました。 では、次のステージはどこに定めていくのでしょう。単純に売上目標を上げれば50億となります。しかし売上は単なる結果です、大切なのはどんな方針を打ち出すか、どんな行動を起こせるかです。私は次のステージを「スケールアップ」と捉えています。商社として少し俯瞰的に物事を捉える訓練も必要となります。設備と建築を一体的に一つの現場として捉えていくことも必要になります。 スケールを上げると云っても闇雲に大きな受注を取りに行くという意味ではありません。地に足を付けた状態でアイディアやソリューション力で成果を出せるようにして行きます。さらに営業マンのノウハウや、センターの配送機動力が通用するかどうかを試す機会も増やして行きます。前期も売上で13.3%の伸長が有りましたが、その要因を分析すると、やはり新規顧客の増加が大きくその伸長に寄与しています。イトウは常に新規開拓に取組んでいますが、その方針は間違っていないと確信できます。 今期は、その新規顧客増をさらに図ることと、そこにスケールアップを織り込んだ行動を営業、センター共に展開して行きます。『The Next Stage』すなわちそれは、営業もセンターも個々の社員のスケールアップによってのみ実現されるものに他なりません。 関東の同業者でM&Aを繰り返している商社が有ります。中部でもここ数年、老舗と言われる問屋さんが数社、その関東業者と合併をしています。経営者にとってM&Aは一種の麻薬のような力が有るように思えてなりません。なぜなら一度やったら止められないと云うがごとく、M&Aをする会社は繰り返し繰り返し行っているからです。 会社の価値と云うのは、売上げの多さや社員数の多さで測るものなのでしょうか?規模の大きさは確かに魅力です。働く人にとって売上げや社員数などの規模の大きい会社にいれば、確かに安心は得られるし、家族や親戚にも面子が立ちます。逆に規模の大きい会社にいると、自分の力が会社に対して及ぼす影響力は相対的に小さくなります。言い換えるとやりがいはどうしても小さくなって行きます。 経営者の立場から言わせてもらうと、確かに会社の規模はその経営者の実力を示すものと捉えることができますが、M&Aで膨らんだ会社は、経営者の実力を表しているとは言えません。なぜなら合併時に銀行から大きな融資を受けなければできないことだし、ましてや相手方の社員や売上げ、資産は自分の手で作り上げたものではないからです。経営の醍醐味は、学卒の社員を採用し、彼らをしっかり育て上げ、成長した社員が会社の業績に貢献していく姿を見ること、これが何物にも代えられません。 イトウはこれからも「純血主義」を貫きます。そして社員が幸せを感じてくれることが大前提ですが「小さくても強い会社」を理想の形として目指して行きます。 |
2017.01.30UP 2017年 年頭に際してのご挨拶 新年明けましておめでとうございます。皆様方におかれましては、健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。 今年は丁酉(ひのととり)の年で、酉は果実が極限まで熟した状態を表し、そこから物事が頂点まで極まる、つまり売上げは過去最高になるなど、商売などには縁起の良い干支と言われています。 また酉年の人は親切で世話好き、且つ行動力抜群の面を有しているそうです。酉年の中堅社員の多い弊社は、今年は大いに期待が持てそうです。 さて、海の向こうでは鳥のようなヘアースタイルをしたトランプさんが、本年1月米国の大統領に就任します。昨年の11月に大統領選が行われました。米国のメディアの予想はすべて外れ、と云うより世界の人々の大半が、接戦を予想していた筋は有ったとしても、まさかトランプさんが勝つだろうとは考えていなかったと思います。これこそが本当のサプライズです。米共和党支持者もうれしい誤算、もしくはうれしくない誤算だったかもしれません。 さて、トランプさんが大統領になってどんな政策を実行していくのでしょうか。トランプさんは実業家なので、経済に関しては攻めの姿勢で行きそうです。インフラ整備に向けて100兆円超の巨額な財政支出。高速鉄道建設などにも前向きなようです。そして法人税などの大型減税や国債発行。保護貿易で自国の産業を育て、雇用も創出するなど自国の経済を強くする政策が目立ちます。保護貿易主義だと、貿易の相手国である日本は少し苛められるかもしれませんが、日本よりは中国を仇として見做しているようです。TPPはやらないと公約しているので、残念ですが米国の参加は無いでしょう。ここまで大変苦労をして、漸くまとまりかけてきたTPPですが、米国が参加しない様では、有名無実の協定にならざるを得ません。 一方の外交や防衛は少し危なっかしいように思います。隣国メキシコやイスラムの国々に対する差別的な物言いが有ります。今、世界的な傾向でもありますが、右傾化、民族主義的思想が台頭している中で、トランプさんも白人優先の思想が強いようです。米国は世界の警察の役目を降りるべきだという発言もしています。日本に対する防衛協力も縮小は否めないと思います。世界の警察と云う考えはとても立派ですが、それより自国の経済に目を向けるべきだというのは、実業家ならではの現実的選択だと思います。選挙スローガンにあったMake America great Againの様に、米国を強くすることは、一見自己中心的に思えますが、実は世界にとっても歓迎すべきことだと思います。なぜなら、消費大国、生産大国である米国が強くなれば、世界に経済の好循環を必ずもたらしてくれる事になると思うからです。 日本では、アベノミクスでほぼ4年、日銀の黒田総裁が就任して3年半、いずれも「デフレ脱却」に向けていろいろな策を講じて来ましたが、結果が出ていない状況です。少しインフレの芽が出て来ても、原油が予想外に大幅な値崩れ、中国も思わぬ景気減速で世界的な供給過剰、どちらも日本のインフレの足を引っ張っています。もともと消費性向の弱い日本人(逆に貯金は大好き)なので、休みを増やして遊んでお金を使わせようとしても、なかなか上手くいきません。逆に週40時間労働などの変な縛りを無くして、勤労日本を再現し、自由な働き方で生産に力を入れ、コスト競争力を付けてもっと輸出を強化した方が、日本らしくて良いと思います。消費はインバウンドの外国人にお任せして、生産年齢人口が減っている日本は、労働性向を上げる努力をした方が良いと思います。 週40時間労働は、当時の日本の輸出攻勢に業を煮やした米政府が、ヒステリックに押し付けてきたルールです。ですから、今では米国人の方が日本人よりよく働きます。トランプさんには是非、米国を再び偉大な国にし、王者のプライドを取り戻して頂きたい。そしてフェアなルールのもと、日本や世界との経済での競合・連携を差配し、リーダーシップを示して頂きたいと思います。 |
2016.12.21UP プロモーションビデオを作ってみました 人がやらない事をやりたがると云う悪い癖があります。 会社を紹介するのに、昔からあるのは紙で作る会社案内、最近の主流はネットを使ったホームページです。歌い手でもないのに、根が軽いものですから、ビデオを作って皆さんに配ったら、もっと商品が売れるかな?なんて短絡的な考えもありました。一昨年(H27年)の10月にこの企画話が持ち上がり、制作会社に見積りなどを依頼したら、意外と安価にできることが分かり、いよいよ遊び心に火が点きました。 ビデオ制作のきっかけはやはり、本社の新築移転です。ビルが新しいうちにぜひ皆さんに見て頂きたいと思ったのが一番です。やはり、それは今でしょと言ったところですね。ただ建物だけでは無味乾燥なので、やはり社員をできるだけ登場させよう、ついでに少し古くなったけど配送センターもお見せしようと色々欲張った考えも出てきました。製作会社のアドバイスでビデオが長いと見る方が辛いので、せいぜい5〜6分が限度ですよとも言われました。それならば何を優先するかと考え、一番は本社ビル、次いで営業グループのスタッフ、最後に営業・配送分離のイトウスタイルを紹介する事の3点に絞ることにしました。 制作会社の社長も若い人で、どちらかというとホームページが専門。ビデオはあまりこなしておらず、試行錯誤をしながらの取り組みでした。コマ割りやテロップ、ナレーションなどのシナリオ原稿は制作会社が書きましたが、やはり管材業界に通じているわけではないので誤解も多く、打ち合わせや修正を重ねました。さらにシナリオだけでは動画のイメージが全然わかないので、試し撮りを重ねながらの作業となりました。最終的には真面目な会社紹介のビデオでは無く、お客様との接点を増やし、さらに親しみを感じてもらえる様なものというコンセプトで仕上げてみました。そこで、社内報でも時々登場させている猫のいっちゃんにも一汗かいてもらう事になりました。 完成品を見ますと、やはり素人のしゃべりと演技丸出しで、まるで学芸会。覚えている方もいらっしゃるかと思いますが、弊社が平成20年に創業50周年のイベントをホテルで行った時に、ちょっとした寸劇をやりましたが、その時から一つも進歩がない今回の出来栄えです。まあ演技力がそんなに簡単に身に付くわけがないので仕方がありません。このビデオで少しでも笑いが取れ、そして見られた方に、これなら俺の方がもっと上手にビデオを作れるぞと、ちょっとしたプロモーションビデオの火付け役になれたら、作った甲斐があったというものです。皆さんがビデオ制作にトライされることを心待ちにしております。 |
2016.6.24UP 2016夏 雑感 またもや消費税が先送りされました。もともと2015年10月に10%にする予定を1年半延ばして2017年4月とし、それを争点に2014年の暮れに安倍内閣は衆院解散―総選挙に持ち込み、思惑通り勝利しました。国民は単に増税が嫌いと云う一面を政府に見透かされての、安倍内閣の読み勝ちだったと思います。今度の参院選は消費税の先送りは争点にはなりません、なぜなら与野党問わず先送り賛成なわけですから。それにしても2017年4月から2019年10月まで2年半も延ばすというのは、よほどデフレ脱却に対し政府は打つ手がないと苦慮している証の様に思えます。 消費税を2%上げることで増える税金は約5兆と云われています。この5兆円を国民を増税で苦しめないで、且つ胸のすく方法で税として召し上げる方法が有ります。それはケイマン諸島などの租税回避地に、今は合法的と云われているやり方で法人税を納めている企業から、租税回避は脱税と云うルールを世界的に整備し、こういう盗っ人のような企業からしっかり倍返しで法人税を払ってもらう事です。そうすることで日本だけでも年間3〜5兆の法人税収が確保できることになるそうです。日本人が日本人を相手にビジネスをして収益を上げ、それを縁もゆかりもない第三国に税として分け与えるなどと云う行為は、国益に反するどころか国賊に値する行為だと思います。 ついでにもう1つ税金の話を続けます。税金の対象は主に「所得」と「消費」と「資産」の3つであります。所得は所得税や法人税などで稼ぎに対してかける税金。物やサービスにお金を使った時に掛ける消費税。そして土地や建物、お金などの資産に掛ける固定資産税や相続税があります。以前の日本はフロー(所得)は多かったけどストック(資産)は少ないという状況でしたが、少子高齢化社会を迎えて状況は一変し、フローは減り続けストックはどんどん膨れ上がる様相を呈してきました。また日本人はもともと消費性向が低く、貯蓄性向の高い国民性でもあります。そんな国でいつまでも所得や消費に狙いを定めて税金を取ろうとしても、上手くはいかないと思います。 そこで、気が付いたら宝の山ともいえる資産に税の標的を替えて行くべきではないかと思います。すでに土地や建物の不動産にはしっかりと固定資産税がかかっています、こちらの方はこれ以上無理かと思いますが、金融資産はほとんど手付かずです。国民の金融資産は1500兆円あると言われています。これに0.5%の税金をかけるだけで7.5兆円の税収になります。また企業の内部留保金は400兆円を超えています。こちらも0.5%として2兆円の荒稼ぎができます。 資産をしっかり残したお年寄りが亡くなった後に相続税で国に貢献するより、生きているうちに資産税を払う事で国に貢献した方が、ご本人の満足感も絶大だと思います。又この税金を若者活躍のための目的税とし、若者の独立支援や子育て支援、婚活支援などに使っていけば、高齢者も納税の意義を強く感じ、若者と幸福感を共有できて生きがいにもなると思います。高度成長期が終わった今、我々が味わった時代の高揚感を少しでも若者に分け与える事が出来れば、資産税の価値はとても大きなものになるはずです。 |
2016.1.20UP 2016年 年頭に際してのご挨拶 新年明けましておめでとうございます。皆様方におかれましては、健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。 今年は丙申(ひのえざる)の年で、申という字は樹木の果実が熟して固まっていく様子を表すので、申年は今までの頑張りが形になっていく年と云われているそうです。今年はこの言い伝えを真に受けまして、成果を手にできる年にして行きたいと思います。 昨年末、米国FRB(連邦準備理事会)が9年半ぶりに利上げをしました。しかし思ったほどドル高は進まず、むしろ日銀が明確な意思を示さなかったため、逆に円高に展開し日本の株価にも悪い影響を与えました。原油価格も産油国が減産を嫌ったが故に、底なしに下がり続け、昨年末は1バレル33$台の値を付けるところまで急降下しました。ピーク時は147$だったので、現在はその4分の1以下。日銀の黒田総裁が目論むインフレ率2%の目標が、この原油安の影響でどんどん先送りされそうです。しかし悪いことばかりではありません。2015年度の国の税収は56兆円と予測されており、一番落ち込んだ2009年度の38.7兆から見ると17兆の増となり、バブル時代の最高税収60兆にかなり近づいて来ました。増収の中身は消費税が半分近くあるようですが、法人税や所得税もかなり増えており、格差問題は残るものの日本の景気は着実に良くなっている証だと言えそうです。 昨年の政治における一番の出来事は、やはり安保法案の成立ではないでしょうか。集団的自衛権も確かに主要先進国の多くが保持していることは事実であります。しかし、自民党が国会に招聘した憲法学者が全員、それを保持することは違憲と判断している中で、まさに詭弁を弄して現憲法下で法案を通すのは、最も憲法を守るべき立場の国会議員がすることではありません。集団的自衛権が国家としてどうしても必要なものなら、やはり憲法改正を正面突破で成し遂げ、この法律の正当性と行使に対する責任の面で、国民的コンセンサスをまずはしっかり作り上げるべきです。 インバウンド(訪日外国人)の増加も昨年話題になりました。昨年はインバウンド人口が1900万人を超えたそうで、2年前はようやく1000万人だったので2年でほぼ倍になった勘定であります。ちなみにアウトバウンド(邦人の海外への出国)は1700万人ぐらいなので、昨年はインバウンドがアウトバウンドを初めて上回ったようです。さらに世界の旅行者が一番行きたい観光地で、昨年は京都が初めてその地位を射止めました。 いま日本には世界遺産に登録されているところが19ヶ所有るそうです。今まであまり観光には熱心では無かった我が国ですが、気が付いてみると観光資源も日本全国にはそれなりに有るようです。また、お寿司・天ぷら・すき焼き・麺類などに代表される日本食も訪日外国人を更に喜ばせる秘密兵器だと思います。うなぎ・ラーメン・丼物など、バリエーションの多さで競えば日本食は間違いなく世界一です。フランスのインバウンド人口は何と9000万人だそうです。これは日本には、まだまだ観光分野の伸び代がたくさんあると捉えることもできます。リニアの開通が11年後となりました、産業資源は充分の名古屋に観光資源も加われば、インバウンド増加に大きく貢献できます。リニア開通までまだ時間のある中、いかに名古屋が東京や大阪に比べて都市としての魅力を醸成できるかです。名古屋メシも戦略の一端とし、産業資源とうまく融合させ、大阪都の上を行く、名古屋首都構想なるものをぶち上げてみるのも、超地味な名古屋人の殻を破る意味で面白いかもしれません。 |
2015.8.1UP 新社屋完成 平成27年7月30日に引き渡しを終え、同日に竣工祭も執り行い、無事新社屋が完成の運びとなりました。昨年の4月に土地を購入してからは1年3ヶ月が過ぎていますが、今から思うとあっという間に完成を迎えたように思います。 思い返せば、7年前の平成20年に、一度本社建設の計画を立てた事が有りました。場所も今回と同じ彩紅橋の交差点の近くで、その時もやはりまず土地を手当てしました。そして本社事務所の上に賃貸マンションを乗っけて8階建てのビルを計画し、設計プランも数社から取ってやる気満々でいました。当時業績も好調で、その4〜5年前に15億だった売上が当時は倍近くに増えており、あまりリスクは感じていませんでした。しかしその時襲ってきたのが、例のリーマンショックです。その少し前に地元にはトヨタショックと云うのも有りましたね。私にとってはまさに未曾有の経済危機の予感。世の中がどうなってしまうのかまるで見当がつかなくて、とにかく恐怖心だけが心の中に渦巻く状態。その時はまだ元気だった会長とも相談した結果、止む無く計画は凍結。その後買った土地も売却することとなりました。その時の判断は、その後の売上も低迷し、遂には50年間続けていた黒字決算も途絶えてしまう状況を見れば、大正解だったと思います。逆に無理にこの計画を押し通していたらと考えると、今でも背筋が寒くなる思いです。 その7年前の計画に比べると今回はイトウの本社機能だけに特化した建物で計画しました。入れ物的にはやや大きめですが、早くその入れ物に実績が追いつくように頑張って行きたいと考えています。社員にもその責任を強く意識してもらい、今まで以上に粉骨砕身、刻苦勉励、一意専心、昼夜兼行… 等たゆまぬ努力を続けて頂きます。よく世間では本社ビルは生産性が低いから、あまり売上や利益の増には繋がらない、むしろ経費増で利益を押し下げる存在になる。営業所をたくさん作った方が利益は増えるであろうと言われています。しかしイトウはその逆です。なぜならイトウには営業所が無く、本社が包括営業所のような存在だからです。同業他社の方式で行くと営業所の4〜5ヶ所分を、弊社は本社1ヶ所にまとめている訳です。今回の本社新築は今後の営業所の拡張の準備に他なりません。 今度の新社屋のビル名をSTHビルと名付けることにしました。STHはそれぞれ3人の名前の頭文字から取りました。Sは先代「故伊藤仙二」の名前の頭文字です。今回の本社ビル建築に当たり、先代の遺してくれたものに大いに助けられていることは事実です。いやむしろそれが無かったらやれなかったかも知れません。先代はもともと借金などが嫌いな名古屋人気質そのもののところが有ります。ですから、今度の建築に関しても必要最小限にとどめておけよと云う声が聞こえていました。その天の声に従って多くを自前でできるようにやり繰りをしました。先日先代の3回忌を終えたばかりですが、返す返すも、この本社ビルの完成を一緒に喜べないのが残念でなりません。ただ、先代がとても可愛がっていたイトウの社員たちがこの本社を根城に、これから頑張っていくことになります。彼らがこの新しい本社ビルを大いに活かして成長発展してくれれば、きっと先代も嬉しく思ってくれるに違いありません。 そういえば、社労士の國井先生のご好意で先代の肖像画を手配して頂きました。3階の応接間に飾らせて頂きましたので、懐かしいと思っていただける方は是非会いに来て頂ければと思います。 さて、現在使っている本社事務所は築50年経っています。建てた建築会社の会長さんが、軽量鉄骨なので構造的にも弱いし耐震性も心配なので、早く解体させてほしいと言ってきているような代物です。リフォームを4〜5回繰り返し、住宅や倉庫を事務所に改造しているので、とにかく狭くかつ薄汚れた感は如何ともしがたく。住設商品を生業としている会社にしては、トイレ事情も悪く、空調や換気も騙し騙し凌いでいる状態でした。本社には若い、新卒社員もたくさんいますが、善くこんな環境で我慢してくれていたなと、頭の下がる思いでいます。我慢をさせていた分、新しい事務所では是非伸び伸びと仕事をしてもらいたいと思っています。また新しい環境を手に入れたことで、こころ新たに働く意欲を高め、今まで以上の成果を追い求めて行ってほしいと思います。 弊社は昭和33年の創業なので、今年は57年目の年になります。最初の計画からは7年遅れましたが、ようやく新社屋建設に漕ぎ着ける事が出来ました。これも偏に今まで支えて頂いたお取引先様皆様のお陰と感謝を申し上げる次第であります。皆様から与えて頂いた新しい環境を最大限活かし、更なるお役立ちができるようにと社員一同強く心に念じております。また、社屋は使い勝手の良さ、居心地の良さを念頭に作ってまいりました。お得意先様、仕入先様を問わずいつでも気軽にお訪ね頂きたいと思っています。社員一同おもてなしの心全開でお待ち申し上げます。 最後になりましたが、新社屋の完成におきましては、潟zシ建築設計室様、さとう建設蒲l、葵電気工業蒲lを始めとする工事関係者の皆様の真摯かつ人智に富んだ施工の賜と心から感謝申し上げます。いつまでも、いつまでも大切に使わせていただきたいと思っています。 |
2015.1.10UP 2015年 年頭に際してのご挨拶 明けましておめでとうございます。2015年・未年の幕明けとなりました。皆様におかれましては、本年が健やかで実りある1年になられる様、心からお祈り申し上げます。 羊年を未年と表しますが、未と云う字は「みらい」とか「いまだ」とか、これからの事を表現する時に使う字だそうです。未熟、未知、未然、未完成などと熟語にしてみると、その字の持つ意味がよく解ります。そういう意味では未年は完成の年ではなく、完成に向けて実績を積む年と理解した方がよさそうです。でも明るい未来に向け、近い将来の完成をめざしつつ、希望をもって物事に励む年にしていきたいと思っています。 さて、昨年日本は比較的平和な1年だったと思います。消費税増税の影響も有り、景気の方は下降気味でしたが、予想の範囲内で深刻な状態に迄は至っていないと思います。年末には安倍総理の独断で衆院選挙が行われました。国民の誰一人利益のない、無駄な選挙だったように思います。沖縄は、知事選で自民の推す保守系の候補が敗れ、ようやく前に進んだと思われた普天間基地移設問題は、またもや大きな暗礁に乗り上げてしまいそうです。 翁長雄志(おながたけし)沖縄新知事が上京して、地元の状況を伝えようとしても、安倍総理も菅官房長官も、会う事すら拒否し異常事態になっています。もっともこの問題の根っこは、世界に愚かさを振り撒いた、あのルーピー宰相鳩ぽっぽの「最低でも県外」の一言に、沖縄県民が夢を見てしまったと云うところにある訳です。こんな大きな政治課題で大混乱させておいた挙句、ご当人様は何の解決も示さず、さっさと政界を引退してしまいました。政治家の一番の使命は政治問題を解決することであります。鳩山さんには自分のまいた種をルーピーの返上と共に、命を賭して拾い上げてほしいと思います。 平和な日本に比べ、世界では深刻な問題が生じてしまいました。それはイスラム国なる国が、俄に中東に出現したことです。イスラム原理主義のテロ集団がこの国を先導しているようです。もともと米国などのキリスト教主要国とアラブ世界の対立が、第2次大戦後も続いている中で、この国の出現はますます対立を先鋭化しそうです。イスラエルの存在もこの国の出現の背景にある様に思います。アジアやアフリカのイスラム国家をも巻き込み、キリスト教圏とイスラム教圏の激しい宗教戦争の恐怖を予感させます。イスラムと云う言葉は元々平和を表す言葉だそうです。そしてキリスト教もユダヤ教もイスラム教も元をたどれば起源は同じで、分派にすぎません。武力に訴えるのでは無く、あくまでも冷静な議論を推し進める中で、宗教の本質的意味を理解し合い、イスラムの言葉に託されたような平和な世界を取り戻していくことを切に望んでいます。 さて、自分としての今年の目標は、社会に対して何か役に立てる行動をすると云う事です。それほど大きなことはできませんが、自分の年齢や置かれた立場からしても、何かやらなければいけないと思っています。さし当り業界が少しでも明るくなるようなことが何かできればと思います。業界で働く人が、少しでも悦んでもらえるよう、楽しんでもらえるように、自分ができることを考えていきます。一方会社の中では、厳しさをもって社員と接して行きたいと思っています。私から見たら社員は家族であり、全員が兄弟や子どものような存在です。社員が社会に向けて行動する時に恥をかかない様に教育する義務が、私にはあると思っています。指導が甘ければ。逆に社員に恥をかかせてしまう事になります。家族ならではの距離感で社員とは本心で接し、時には厳しい対応もしなければいけないと思っています。もちろん家族ですから愛情もセットです。 |
2014.6.20UP 平成26年度の社員総会を終えて 今年も社員総会の季節がやってきました。毎年6月の頭に行っておりますが、その由来は、前身である伊藤商店の創業が6月1日でありまして、大変生意気ではありますが、創立記念行事と云うような位置付も兼ね、今は3月決算なので5月に数字が出そろう事も有り、6月頭の開催が妥当だろうとこの時期に行っています。 ネーミングは社員総会なので、株主総会のようなものか?とよく言われますが、方針発表と社員表彰がこのイベントの主だったものであります。 今年は今迄で一番多い33名のゲストの方にご参加いただき、社員合せて総勢84名での開催となりました。イトウの素の状態を知ってもらおうと、数年に一度ですが仕入先の方や銀行の方たちをお招きしての開催をしています。総会の中身は毎年少しずつ変化していますが、今年大きく変えたのは総会幹事長の人選方法です。今までは営業責任者が持ち回りで務めていましたが、今年からは前期一番会社に成果をもたらした人が、Honerとして幹事長に抜擢されるという方法に変えました。それにより今回は、藤原課長が前年度の覇者として選ばれ、10人の幹事団を編成しこの総会を仕切りました。今後は同じ幹事長が、続けて選ばれるという事も有るかもしれません。是非競い合って幹事長の座を射止めるような競争文化がこれを機に生じてほしいと思います。 それに準ずるもので「ナイスな業務は誰だ!」「配送のエースは誰だ!」と云う新たな社員表彰と3年ほど前から有る「挨拶大賞」は、これからも社員のモチベーションを上げるのに一役買うのではないかと期待をしています。また、今年で3年目となるコードナンバーコンテストは、年々盛り上がり度が増しており、ここまで社員を熱くするなどとは、導入当初の予測をはるかに超えております。ただ、ゲストの皆さんを放ぽっといて、社員だけが盛り上がるというのはいささか顰蹙ものですが、これも健全な競争心が有るからと、是非お客様各位には大目に見て頂きたいと思っております。 リーマンショックの後5年ぐらい低迷時期が有りました。決算で赤字も出しましたが、前期ようやくその呪縛から逃れるように良い決算の年となりました。消費増税の大きな追い風も有りましたが、やはり仕入先様や銀行等の金融支援先、税理士等の顧問先の大きなご協力のたまものと思います。さらには堅実に高齢者施設、学校、病院、集合住宅を受注されている、弊社の有力なお得意先からのご発注が有ったればこそと思っております。 弊社をご採用いただける事に心から感謝を申し上げ、これからもイトウ社員は好成績に慢心することなく、もう2度と赤字決算は出さないと宣言をすると共に、今まで以上にお得意先様や仕入先様のお役にたてる会社に成れるよう学び、努力、実行して参りたいと思います。皆様方には変わらぬご指導、ご鞭撻を心よりお願い申し上げます。 |
2014.01.20UP 2014年 年頭に際してのご挨拶 明けましておめでとうございます。皆様方におかれましては午年の新年を健やかにお迎えのこととお慶び申し上げます。 さて、一昨年の12月に誕生した安倍政権が昨年1年間、良いことも悪いことも含め色々な実績を残しました。良いことはやはり「経済を取り戻す」と声高に叫び、アベノミクス・3本の矢にこだわり、デフレ脱却対策を愚直に断行していることです。やはりこういう事は信念をもって、ぶれないで行うことが肝心かと思います。特に第1の矢である「大胆な金融政策」は日銀総裁を黒田東彦に代え、可能な限りお札を刷り、可能な限り国債を日銀に買わせ、またそんな黒田総裁のリフレ理論を信じ、積極的に後押ししている姿勢に、総理の強い意志が感じられ頼もしく映ります。また10月に最終的に消費税の8%への増税を決断した時も、金融政策の師匠である内閣官房参与・浜田宏一氏の制止も振り切って行い、ここでもぶれない姿勢を国民に示しました。このイェール大学教授でもある浜田氏が「アベノミクス・三本の矢」を採点すると「金融政策はA+、財政政策はB、民需成長戦略はE(ABE)」となるようです。やはりイェール大学の先生はセンスが良いようです。また安倍総理は、あまり話題になりませんが、この1年で多くの国を歴訪しています。(ただし中韓以外)この地道な外交(営業)姿勢は必ずや良い結果として報われて来ると思います。 一方悪い方の実績としては、やはり特定秘密保護法案の強引な採決が上げられます。世界の先進国が同様の法律を有しているとのことですが、この法律の持つ目的や必要性を、もっと丹念に説明する必要が有ったのではないでしょうか。これほど性急に採決をすると、何かやましいことを秘密にしているのではないかと痛く無い腹も探られかねません。 そして靖国参拝が有りました。これは議論が分かれるところかと思いますが、内政的にはプラスですが、経済外交的にはマイナスになったと言わざるを得ません。財界の首脳は、これから起こりうる中国やアジア諸国との交易上の問題に、いよいよ本気で取り組まざるを得なくなったと言えます。安倍総理も先ほども示しましたが、この1年中国、韓国とは全く首脳会談の機会を持てないでいます。日本の外交政策上において異常事態ともいえる状況です。今年は、この2つの隣国とどう国交を正常化するかを真剣に考え、問題解決をしなければいけません。 まず韓国に対しては、それほど心配はいらないと思います。日韓で交流が停滞した時に国益を損なうのは、むしろ韓国の方で日本ではありません。今の韓国は条件闘争をしているようなもので、慰安婦問題も労働争議もその一環です。そのうち北朝鮮問題で忙しくなり、日本に助けを求める事態になってくると思います。 一方の中国の方は簡単ではありません。中国が経済力でも相当な力をつけてきているのでなおさらです。ヨーロッパやアフリカでも中国は無視できない存在です。もともと中華思想で世界の中心はいつも中国と云う、覇権国家を自認する国ですから、プライドだけは世界一の国なわけです。とりわけ靖国問題に関しては、中国は過去にケジメを付けたはずだと主張しています。いわゆるA級戦犯合祀の問題です。中国としては日本の首脳が靖国に参拝し、英霊や戦没者を崇めることに対しては問題視しない、しかし戦争責任者(侵略の犯罪者)であるA級戦犯を敬う行為はいかがなものかと。靖国にA級戦犯が祀られていることが問題だと、中国は一貫して主張しています。中国に対して内政干渉するなと突っぱねることもできますが、平和と豊かな経済を手に入れようと思ったら、分祀と云う現実的な選択もやむを得ないのかもしれません。 |
2013.12.28UP 少年野球での始球式!! 「ストライク!!」審判が大きくコールしてくれました。 小6のキャッチャーが構えるミットのど真ん中に、私の投げた直球が吸い込まれていきました。年甲斐もなく真剣にしかも力いっぱいボールを投げてしまいました。そう云えば始球式と云うのは山なりボールを投げて、それをバッターが空振りするというのが定番のはず。何十年ぶりに白球を握った私は少し舞い上がっていた様です。でも糸を引くような直球(自分にはそう見えました)がストライク、とても爽快、こんな時やっぱり野球はいいなと思います。 管材商の集まりで管工機材組合とは違って、もう少し規模の小さい「名古屋水栓販売協会」と云う同業の集まりが有ります。管工機材組合と違って割と自由に行事が企画できるのと、役を仰せつかっている関係もあり、比較的自分好みの運営ができる面白さが有ります。そんな状況下で、この協会員の中に、偶然にも少年野球の指導者を任されているオーナーが二人もいました。しかも少年野球チームとしてはどちらも規模が大きく、そして強豪ときています。当然ながら私のイベント魂に火が付き、そんな状況をほかっておく事ができなくなりました。早速両オーナーに話をし、野球少年たちの真剣勝負と、かつて野球選手にあこがれたおじさん達がそれを応援するという、なんとも郷愁あふれるイベントを開催するに至りました。 試合結果をお伝えしますと、サンデージュニアと云うチームの6年生のエース(なんと女子)が直前の練習中に腕の骨を折るというアクシデントが有りました。一方の大須パンサーズはエースが甲子園常連校を目指しているとかで、とにかくフォームが綺麗でコントロールも良く、回を重ねるごとに球速も伸びていました。試合時間は1時間、結果はやはりエースが活躍したパンサーズが5-0で勝利しました。 スコアはワンサイドでしたが内容はとても白熱したもので、少年野球とはいえ、5,6年生ともなるとプレーのレベルは高く、しかもきびきび且つ礼儀正しいので、見ていてとても爽やかな気持ちになりました。 私が、水栓販売協会のイベントに野球対決のような、一風変わった行事をとりあげたのには訳が有ります。一つはやはり指導者の考え方や心構えが、会社における社員教育の場で指導者や管理者の立場と相通じるものがあると云う事。もう一つはスポーツに熱心な子供の精神性とか振る舞いが、大人から見て好感が持てるという点です。 特に後者は今の時代だからこそより強く思います。子供たちが厳しい指導者の下、繰り返しの練習をする中で、スキルの向上と体力の向上のみならず、一定の苦しさを味わう中で精神力の向上も得られると思います。また、チームプレーでの協調性や上下関係を経験する中で我慢強さなども身に付くと思います。さらにゆとり教育で遠慮している学校の先生に比べれば、民間のクラブチームの指導者の方がより思い切った指導ができるので、子供にタフネスと礼儀正しさを求める親には、たまらない教育環境になると思います。 これで、始球式でつい入れ込み過ぎて全力投球した私の気持ちもお解りいただけたと思います。 |
2013.10.08UP 「ITOH TIME’Sの創刊10周年を迎えて」 ITOH TIME’Sが創刊10周年を迎えることになりました。正直言ってここまで続くとは思っていませんでした。これも歴代編集長及び編集スタッフが、いろいろな意味で大きな負荷がかかる中、頑張って作り上げてきた努力のたまものと感謝しています。また、得意先や仕入れ先の皆様にも無理やりお届けして半ば強制的に購読いただいたこと今更ながら、恐縮至極に感じています。ここまで続けてこられたのも、皆様の温かい社交辞令に勇気づけられてきたこともその一因かと存じています。 歴代編集長は初代が号外から24号までの6年間を都築君が務めました。25号から29号までを2代目法山君。30号から32号までを3代目大村君。そして現在4代目の加藤編集長が33号から丸2年経過し、今回40号の記念号を発刊します。 何と云っても初代編集長都築君が一番苦労したと思います。彼は営業をやりながらの制作だったので、その苦労も並大抵のものではなかったと思います。しかもこういうものは最初が肝心で、創刊当初につまずくとほとんどの物は2〜3回で立ち消えになることが多いと思います。そういう意味でもよく踏ん張りました、創刊10周年の最大の功労者は都築初代編集長だと思います。 イトウが社内報で何を求めてきたかと云いますと、やはり取引先の皆様とのコミュニケーションツールと云う側面が一番だと思います。お客様とのつながりは仕事の上だけではなく、日常も知ってほしい、又営業マンだけではなく裏方のスタッフも知ってほしい、より密着して、もっと親密度を上げていきたいと考えて作ってきました。また文章を書くことや川柳を作ることで、少しでも表現力を身に付ける足しになれば、今度は仕事の上でお客様のお役に立つようになるのではないか、と云う考えも有りました。 メーカーさんが発行している社誌や月報などは誌面もしっかりしているし、文章や写真もプロのレベルです。一方私共の社内報は素人感丸出し、中学生が作る校内新聞レベルであります。まあ逆に言うと誰でも作れそうと思ってもらえるところが良いところかとも思います。ITOH TIME’Sをこれからも続けて行くに当たり、もちろん表現力を磨くことは怠らずにやって行きます。そして素の自分、本音を語る自分を皆様にぶつけさせていただく中で、より友好関係・信頼関係を築いて行けるよう、社内報発行の本来の目的を達成して行ければ、大変ありがたい事と思っています。今後とも末永く社内報とお付き合い頂けます様、お取引先の皆様には改めて心よりお願い申し上げます。 |
2013.08.10UP 創業者 伊藤仙二逝く 平成25年7月23日午前7時30分、私の父であり弊社の会長であった伊藤仙二は、92年と云う天から与えられた寿命を全うし、黄泉の国に旅立ちました。生前は皆様方には本当に多くのご厚誼を賜っておりましたこと、故人に成り代り心より御礼申し上げます。また、通夜式並びに告別式の際は心温まるご会葬を賜りました事、重ねて御礼申し上げます。残された私共遺族並びに社員一同、これからも一層の努力と精進をしてまいる所存で有ります由、故人生前中と変わらぬご指導、ご鞭撻を賜りますこと伏してお願い申し上げます。 さて、父仙二は昭和33年6月、自分の姉の嫁ぎ先であった同業のかめや商店から独立しました。36歳の時でしたので遅い独立だったと言えます。私の母・笹子と二人で会社を起こし、無一文二人三脚のスタートです。財務的には脆弱でしたが、逆に持たざる者が開き直った時の強さと、折からの高度成長の波に乗り、会社の方は順調に伸びて行った様です。昭和48年のオイルショックも乗り越え、社員も10人ぐらいに増え、年商も3億近くまで伸ばしました。 戦争を経験した父は、やはりその時が一番の地獄で、それ以降はその体験以上に辛いことは無かったように、私には見えました。会社も、創業時の事は解りませんが、5年前の創業50周年の年まで、50年間一度も赤字を出したことはありませんでした。 借金はきらい、「石橋を叩いてもなお渡らず」の名古屋人気質丸出しで、身の丈に合った経営が身上、会社経営では冒険は禁物と思っていた様です。人付き合いは好きな方で、お酒は全く飲まなかったのですが、場の盛り上げ役として重宝されていたようです。人前での挨拶は大の苦手でしたが、うちわでの会合などでは、常に口でお山の大将をキープしていました。 父がうんちくを垂れることはほとんど有りませんでしたが、昔から言っていたことは「人付き合いだけは大事にしろ」という言葉であります。特段変わり映えのする言葉ではありませんが、独立時にそれまでの付き合いによって助けられ或いは裏切られた、まさに人生を左右するような経験があって、それが人生訓のようになっていると思われます。 父の目の黒いうち、すなわち50年間は黒字を続けていた会社も、その後少し恥ずかしい決算の年もありました。しかし、父が強靭な財務体質を残してくれたおかげで、赤字の後でも自己資本はそれほど毀損されていません。父の遺志は強い財務体質を元手に立派な経営をし、そして良い会社にしていくところに有ると思います。私共遺族・社員が一体となり、人とのお付き合いを大事にし、しっかり働きそしてしっかり経営することが、父に対する何よりの供養になると思います。安心して父が眠りにつけるよう頑張ってまいりますので、皆様方のご指導、ご厚情を今まで同様賜りますよう心からお願い申し上げます。 |
2013.07.16UP 日本を取り戻す 日本の政治にとって極めて大切な参議院選挙が7月21日にある。この社内報が発刊される頃には、帰趨は判明していると思うが、自公での過半数確保或いは自民単独での安定多数も夢ではない。 「日本を取り戻す」は安倍自民党の選挙公約のキャッチコピーだが、保守派の脳幹を刺激するにはほどよい言葉である。取り戻すのは―かつての経済力なのか教育水準なのか、或いはアジアにおける覇権なのか、それともメイドインジャパンの憲法や日本人としての誇りなのか―等々いろいろなものが考えられる。私が個人的に取り戻したいと思うのは、日本人としての誇り、若者の夢や希望、そして経済の本質を理解する力だと考えている。 戦後、日本はGHQの統治下に置かれ、WGIP(太平洋戦争はすべて日本の軍国主義者の責任であって、原爆投下も軍国主義者に対する懲罰で一般の国民の責任ではないとする洗脳)の政策などで徹底的に国家の弱体化が行われた。その時GHQが一番利用したのが日教組などの共産主義勢力で、強い国家の復活を妨げることと、日本人の固有で古来からの誇りを奪い取ることにことさら拘泥した。米英は日本民族の優秀で勤勉な体質を、戦争を通じて思い知ったのかもしれない。だから学校の教育現場から根本的な改造を図り、民族的な血統を根絶やしにする作戦だったのだろう。それから憲法も進駐軍の手によるものではなく、やはり日本人の手で作ったものを国家の基本法として中心に据えたい。そうすれば憲法に対する国民の関心ももっと高くなるはずだ。 若者の夢とその時代の経済状況は大きく関連している。やはりデフレではだめだと思う。デフレ下では何もしない人が有利で、いろいろな手を打つ人が逆にリスクを負うケースが多い。物の価値が下がる世の中では、相対的にお金の価値が上がり、よってお金を持っていて使わない人が一番得をすることになる。これでは経済は成り立たない。「お金」は所詮モノの価値を測る道具にすぎず、お金そのものに価値はあまり無い。しかしデフレ下ではそんな「お金」を持つことに皆が血眼になる。経済は物が中心で物にこそ価値があると信じられる状況で初めて健全なものとなる。インフレで物の価値が上がっていく世の中になって経済も健全化され、リスクがあっても攻めて行こうとする人にチャンスが多く訪れる。 デフレで失われた20年、若者がチャレンジしにくい環境だった。1000兆と云われている高齢者層の持つ貯蓄(お金)を若者に投資し、若者も夢や希望をその投資を活かして実現できれば、高齢者・若者の両者がWIN・WINの関係に成れる。経済の本質を知るというのは、健全な成長はデフレ下では為し得ないという事を、この20年を経験した結論として導き出すことではないだろうか。 |
2012.01.15UP 2012年 年頭に際してのご挨拶 明けましておめでとうございます。皆様におかれましては、健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。今年は壬(みずのえ)辰の年です、辰年は昇り龍と例えられる如く干支としては縁起の良い年に当たります。私も年男(還暦)でも有りますので、今回は特に気合を入れて(?)年頭のご挨拶をさせていただきます。 昨年は国内では3月の東日本大震災に始まり、原発メルトダウン、デフレ加速と超円高そして大阪の乱と激しく揺れ動きました。海外でもジャスミン革命から中東の春がもたらされ、カダフィや北の将軍など独裁者の死、そういえばウサマ・ビンラディンも葬られました。とりわけアラブ/イスラム世界ではぐっと民主化が進んだ年でした。一方ギリシャの財政破綻からユーロ圏の経済不安が拡がり、大国イタリアやスペインまで破綻懸念が連鎖し、ユーロの暴落が続いています。ヨーロッパの通貨の統一と言う実験は、その構成国の経済の実態を覆い隠すと言う欠陥が見え隠れしてきました。 さて日本経済にとってやはり円高は辛く、特にものづくりの現場に厳しく襲い掛かります。通貨のレートを計る基準に「ビックマック指数」と言うのがあります。これは世界中にあるマクドナルドのハンバーガーの価格を基準にして、各国の通貨レートを比較するものです。その比較で行くとビックマックは日本は320円、アメリカは4.5ドルとなり、1ドルは71円ぐらいになります。このモノサシで見ると1ドル70円あたりが正常なレートとなり、今の1ドル=78円程度はむしろ円安となります。このからくりは単純にアメリカなど他の国はインフレ、日本だけはずっとデフレと言うところにあります。実際にアメリカはこの10年で40%のインフレ率、日本は20年間でほぼ0%です。(統計上はこの数値ですが、体感的には衣食住に関するモノすべて下がっていると、皆さんは感じているのでは無いでしょうか) 確かにものづくりの現場には円高は重くのしかかりますが、世界から日本の工業製品や農産品は「クールジャパン」と評価され、高価でも手に入れたいと言われるものがたくさんあります。日本はもっともっと自国の製品に自信を持ち、高くても売れるように、ものづくり世界一の座を目指し歯を食いしばって努力すべきではないでしょうか。 大阪で新市長が誕生しました。実行力や発信力を備えた本物の政治家の登場だと思います。橋下市長は今の行政は明治時代に作られた中央集権国家の枠組みをそのまま維持しているので、根本的にその体制・仕組み・システムを変えなければ地方主権・道州制そして正しい国政も実現できないと主張しています。私はとにかくこの民主的に選ばれた独裁者に期待をしています。本人も言うように橋下の独裁政治が間違っていると思うなら選挙で落とせば良いだけです。日本は選挙と言う民主主義の原則が担保されています。しかし民主主義にも限界があります。私は健全で正当な独裁者は非力な善人政治家より、よほど国益を護る上では必要な存在だと思います。 政治は実行力です。正しいと思う事を力で実現していくことです。赤字続きの大阪府政をわずか1年で黒字にしたのは、類まれな行動力の証だと思います。強い信念に基づき命懸けで行動をすれば、抵抗勢力もやがて従う様になると思います。こんな閉塞感漂う日本に風穴を開けるのは、独裁的リーダーシップの登場以外にはないと思います。 |
2011.10.25UP 交通安全に覚悟を持とう 8月の終わりに安全運転管理者講習を受けてきました。全国の交通事故死者数の推移は、ピークが1970年で16,765人、昨年(2010年)は4,863人、と言うわけでこの40年で7割の減少となりました。車の保有台数は70年が約1600万台、昨年が約8000万台なので、40年で5倍の増加。そんな中での大幅減少なので、これは交通警察官大健闘と言っても良いかと思います。ただし事故の発生件数は725,000件、負傷者は896,000人(いずれも2010年)で、交通警察官大忙しは変わらない様です。事故死者数減少の1番の要因はシートベルト着用率向上で、次いで飲酒運転の激減、スピード超過運転の減少が続きます。ここ近年の傾向としてやはり高齢者の事故死者が増えていて、死者の約半数は65歳以上だそうです。もう1つの問題が自転車です。2008年の道交法改正で、自転車は車輌なので指定された歩道以外は、原則車道を通行するべきと念を押されました。車を運転する者にとって、この原則はかなりのストレスになります。早く自転車専用道を各地に造って貰いたいと思います。これは私案ですが、車道の両側に歩道があるような道路は片側を自転車道にしたら、車・人・自転車の3方良しになると思いますが如何でしょう?公共事業の観点からもお勧めしたいと思います。 弊社も今30台を超える車を保有しています。過去には交通事故の辛い経験もしています。事故で加害者になるのも被害者になるのも、どちらもとても厭なことです。安全管理者講習で見せられる実録映画は、家族が地獄に落とされるようなものが多いのですが、そんな目に遭いたくないと心底願うのならば、安全運転に対する心がまえを常に、そして強く持ち続ける必要が有ると思います。 |
2011.10.11UP 増税に一言 政府が復興増税を11.2兆円の規模で国会に提出する事になった。 内訳は法人税・所得税・住民税・タバコ税等だそうだ。もともと増税をしたい財務省にとっては、この震災をテコに増税路線にもって行こうとする思惑が見え隠れする。日本は大増税国家になってしまうのか.... さて、そこで私も国民の一人として税について少し考えてみたいと思う。まず、タバコ税などは愛煙家(自称節煙家)の私も反対ではなく、たとえ1,000円でもOK。増税によって喫煙者数や喫煙本数が減ればそれはそれで良いことだし、タバコ税のように物の価格に紛れ込ませる間接税の方が、給料明細に税額が載ってしまう所得税や住民税等の直接税より痛税感は少なく、すぐに慣れると思う。その観点で言うと次に来るのはやはりお酒。愛飲家の皆さんの猛反対を承知で言うなら、やはり増税で酒量が減り、健康と家計に資することになれば、それは奥方衆の賛同が得られること間違いなし。 さらに見直すべきところでは、パチンコやカジノ(合法化して)、さらにゲーセン(最近高齢者が占領しているらしい)等にかける遊興税、。パソコンやスマホなどのアプリ税。次いですべての女性を敵に回す覚悟で言うと、美を求める女性の化粧品の類にかけるコスメチック税、もう一つおまけにエステティック税。せっかくの健康ブームにあやかっての健康税なんかも有りかな。 この考えの根本は、人の趣向(好きな事はやめられない)や美しくなりたいなどの根源的な願望に基づいていること、もう一つは所得税のように勤労者から取るのではなく、むしろ遊んでる人から頂くと言う事。景気に左右され易い不安定な所得税・法人税などより、これら人間の普遍的・生理的欲求がベースになっている間接税の方が安定財源になり得ると思う。税率も酒税はタバコ税並み、他は30%ぐらいは狙いたい。これは財務省の肩を持つのではなく、これから訪れる消費税率アップに対する抑止策としても考えるべきと思う。 |
2011.08.22UP 国益とは 3.11の未曾有の大震災、福島原発がさらなる追い討ちをかける。 菅直人が原爆と原発とを一緒くたにしたあげく、原爆の慰霊平和祈念祭で脱原発を2度に渡って念仏の如く唱える。この人の思いつきとマーキングのためだけの、ただ単に時宜を得ただけの原爆利用は、被爆者の弔いにはなりそうも無い。 この夏は、日本国民全体が節電モードとなった。「もったいない」の原産国日本にとっては本領発揮でとても良い。しかし一方で日本の産業界が騒がしい。 脱原発で、自然エネルギーに電力を依存していくのは、こんな事が有った後では、至極当然。ただ、原発から自然エネルギーにシフトすれば、電気料金が大幅に高くなるそうだ。そこで産業界が騒がしくなった、曰く「電気料金がそんなに高くなったら日本ではやって行けない、工場を海外に移転するしかない」と主張。 日本を代表する企業が電気代ごとくであっさりと国をお捨てになるとおっしゃる。 そこには国益を担う気持ちは微塵もない。地震や津波の大きな被害に遭った人たちと比べたら、電気代の値上がりなんぞ、どれほどのものだろう?日本の代表企業なら自分の企業の利益だけでなく、日本の国益に則った行動を取れないものかと思う。被災者はもっと大きな犠牲を払っているではないのか。 ついに円が75円台をつけた。外需に依存している国家にも企業にもこちらの方が電気料金よりもっと高くつくのでは。世界は米国・ユーロ圏・日本・新興国それに中国を交えた金融戦争の様相を呈している。日本以外の国が金融緩和でどんどんお札を刷り、インフレ誘導&通貨安に成功。日本は誰かに手足を縛られ、金融緩和もできずデフレと通貨高一直線。現日銀総裁の意志の弱そうな顔つきを見ていると、金融暴力国家米国の格好のカモとなっているように思う。 いつまでもお人好しで自己主張もしないでいると、米国や中国に日本の国益はしゃぶり尽くされてしまう。政治も目先の景気回復だけではなく、世界に向けて国益を主張し、真の独立を勝ち取る事を争点に、新しいリーダーを決めるべきではないかと思う。 |
2011.05.02UP 震災から何を得るか、そこには大切なものが沢山 平成23年3月11日 三陸太平洋沖を震源とする地震・大津波が広く東日本を襲いました。現在死者・行方不明者を合わせると27,000人にのぼる未曾有の大災害です。被災された皆様には心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。今回亡くなられた方の92%は水死との事で、地震よりも津波での被害が甚大だったことがわかります。また被害は三陸だけにとどまらず福島や茨城、千葉にまで及んでおり、マグニチュード9.0の威力を見せつけられました。 もう一つの大災害は東京電力福島原発の事故です。想定をはるかに超える津波の威力により、原子炉の冷却装置が破壊され、電力供給に支障が出るのみならず、原子炉の破損による放射性物質の漏れが広範囲に災害を引き起こしています。半径20q以内の住民の避難に加え、農作物や海産物にも被害が及んでいます。さらには事故発生直後から、東電、政府共に危機に対する対応の拙さから、未だ事故終息の目途すら立っていません。原発の安全神話がもろくも崩れた事や、政府の危機対応能力の無さなどを見せつけられるにつけ、このもう一つの大災害は、人災と言われても仕方がないと思います。 東京都知事・石原慎太郎が、そんな政府の不作為を捉え「この震災も(日本人よいい加減に目を覚ませという意味で)天罰ですよ」と発言しました。さらに今の日本人は我欲に苛まれている、倹(つま)しさを忘れていると続けました。言葉があまりに刺激的で物議をかもしましたが、一本スジが通っていると言う意味では共感できる物言いです。慎太郎の言うように、我欲すなわち自己中心的で、自分の事しか興味が無く、自己の楽しみのみを追求する姿はとてもみっともないと思います。また遊技やお酒・グルメ料理に言のほかお金をかける姿は日本人には似合わないと思います。嘗て勤勉を誇った日本人の唯一の強みが失われてしまう事になります。ただし消費を否定している訳ではありません、本当に必要な物にはドンと使えば良いと思います。しっかり貯めてしっかり使う、お金は活かした使い方ができれば社会の役に立ち、その後良い形で自分に還って来るものと思います。 一方ではとても嬉しい事がありました。それは被災地での日本人の立ち居振る舞いが、海外からとても称賛された事です。被災地で暴動、略奪がおきないばかりか、避難民同士でも譲り合い、そして労わり合っての行動をとっている事です。日本人の秩序と礼節、倫理観のありようや、勇気と自己犠牲を海外の多くの国が自国民と比較して驚き称えています。被災された皆さんは決して我欲的では無いし、倹しさを忘れてもいません。東北地方特有の我慢強さとも言われていますが、日本人のあるべき姿を教えてくれています。もちろん、海外からも沢山の支援を受けています。「Tomodachi作戦」の米国海軍を始め、中国、韓国、ヨーロッパの国々からも胸が熱くなるような援助をもらっています。 震災を機に人との繋がり方、外国との交わり方、コミュニティ(公共)への忠誠心、日本と言う国をどうやって守るか等など、できるだけ心を白地にして考えて行きたいと思います。そして自分の感受性を鍛える場にもしていきたいと思います。 |
2011.05.01UP 組合 概況 本年3月11日 東北地方太平洋沖にマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。地震に伴なう大津波が東北から関東の広範囲に襲来し、人や車を呑込み建物や船を襲い、多くの都市を一瞬にして壊滅的な状態に陥れました。さらに福島では、安全であるはずの原発に重大な損傷を受ける事態を迎えました。政府主導の救援は混乱遅滞し、福島原発事故の解決の目途は未だに示されていません。 この「東日本大震災」は、津波被害の大きさや原発の状況を考えますと、国家的危機と云っても過言では有りません。私共も国民としてこの国難と向き合い、大きな支援をしていく必要が有ります。被災者に対する援助、激励は言うに及ばず、インフラや住宅・プラントに大きく関わる業界としても、復旧・復興の局面においては全面的な協力をしなければいけないと考えます。 景気に目を転じますと、リーマンショック後の永い不況のトンネルを、ようやく抜け出した感がありましたが、この震災ショックによる景気の逆戻りが懸念されます。自動車も建築も直接、間接の被害を受け製造が半減したり、納材が滞り、工期が遅延したりで、売上の面で大きな下方修正を余儀なくされそうです。次いでは資金ショートが頻発し、体力の無い企業の貸倒れが増え、被災地はもとより被災地から遠く健全な地域においても経済的苦境に立たされます。この様な特例的な状況下では、政府あるいは金融当局による緊急避難的な措置が必要と思われます。 さて愛知組合としましては、昨年10月に「第28回管工機材・設備総合展」を行い、好評を博すことができました。展示会開催は業界のアピールも大切な役割ですが、出品メーカー様の展示力の進歩は目を見張るものが有り、来場者を喜ばせるのみならず、この業界の地位向上や将来の発展を暗示させるに十分なものがありました。 私共の業界も、まだまだ厳しい状況が続くものと思われます。しかし社会に貢献できる業界である事、若い世代にとっても夢がもてる業界である事を信じ、賛助会員であるメーカー様と共に矜持を持って今後も鋭意努力して参りたいと存じます。組合員の皆様には組合活動において、これからも変わらぬご指導ご鞭撻、そしてご支援を賜りますよう心からお願い申し上げます。 |
2011.01.25UP 2011年 年頭に際してのご挨拶 明けましておめでとうございます。皆様におかれましては、健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。年頭に際し恒例(?)となりました、社内報でのご挨拶を今年もさせていただきます。 さて、今年は卯年(辛卯−かのとう)です。といっても卯にまつわるネタの持ち合わせも有りませんし、この社内報が出来あがる頃は、お正月用の定番ネタも新鮮味がなくなる頃ですので、早速の本音トークで迫ってみたいと思います。 今の日本の閉塞感は、政治に対する失望感、景気の低迷、若い人たちの将来に対する無力感などが起因していると思います。2009年の夏、あれほど熱狂的に迎えた民主党政権の誕生が、1年半が過ぎて今、政権リーダー達の無能さを知るだけの結果となりました。自民党と同じような「政治と金」の問題を抱え、内紛に明け暮れている人たちが、いくら「国民の生活が第一」と叫んでも、それは虚しく響くばかり。私の中での民主党の超A級戦犯は鳩山由紀夫です。沖縄・普天間の問題で無能をさらけ出し、沖縄県民を怒らせたのみならず、米国からは見放され、中国には日本はカモであると思わせてしまいました。また国連で有頂天になって、つい云ってしまったCO2の25%削減は、一体誰がこの後の責任を負って行くのでしょうか。私は申し訳ないですが、こんな人の言った約束などとても守る気には無れません。最近では小沢に摺り寄ったり、菅に拗ねてみたり、元々お金を出すことぐらいしか期待されていない人なのですから、最後は誰が自分の財布を当てにしていたかも全部公表し、「政治は友愛では無理でした」と懺悔の一言でも添えて潔くバッジをはずし、政界からフェイドアウトして頂けたらと思います。 日本の景気に目を向けますと、やはりデフレの進行がこの景気の停滞の元凶のように思います。G20を形成する先進国をざっと見渡して、デフレの国は日本以外に存在するのでしょうか? 無いと思います。デフレの時は通貨の価値は上がります。日本円が他の通貨と比べて独歩高なのもこの影響だと思います。円高が絶対的に悪いとは云えませんが、まだまだ製造業中心・外需依存の日本の産業構造(今も昔も加工貿易立国ですよね)においては、円安の方が間違いなく国益にかないます。この頃のエコノミストの主張の中で、森永卓郎などは日銀が金融緩和策でどんどんお札を刷ってくれれば、アット云う間に円の価値は下がり、インフレと円安を同時に実現できると云うような話を真顔でしています。こんな夢のような話って本当に有るんですか??? これが真実なら、菅総理にはインフレと円安を実行し、日本の景気回復を実現してもらう為に、森永卓郎を財務大臣に据えることを是非とも提案したいと思います。これで景気回復が本当に実現すれば、ご自分の長期政権を、国民からご褒美として受け取れること間違いなしです。 この正月に「デフレの正体」(藻谷浩介著)と云う本を読みました。この本では日本のデフレの原因は消費人口減少に有ると云っています。すなわち生産年齢人口(15歳〜65歳)が減り、高齢者が増えることにより、お金を使う人(消費する人)がどんどん減っていることがそもそもの原因と見ています。確かに団塊の世代が次々と定年を迎えているので、現役の労働世代の総所得は減り、この世代の所得が減ることはそのまま消費を減らすことになります。また定年後の高齢化する世代はお金は持ってはいるが、老後に備えてやはり消費を抑えようとします。国民の金融資産は1500兆円あるといわれていますが、その3分の2は65歳以上の世代が持っているそうです。ではそのデフレを解消するための対策は何かと云うと、生産年齢人口の中でも特に多くを消費する年代の所得を厚くする、使わない高齢者から税制面を考慮して、どんどん消費する現役世代に所得移転をして行く。女性にももっと稼いでもらって、そして使ってもらう。海外から人を呼んで、移民でなくても良いから日本で消費する外国人を増やす等の策がこの本では提案されています。言い換えると黙っていると消費せずに貯めるだけの年代層から、黙っていても必要に迫られて消費してしまう年代層に所得を移動すること。もう一つは老後の不安のために貯めることしか考えない高齢者層に、貯めなくても安心と思える社会を作ることが必要かと思います。日本人は儒教の観念から、消費をあまり美徳としていません。しかし浪費と消費は違います、生産は消費の為に、供給は需要の為に有ると、常に一体の関係です。これからは国家の為と覚悟を決めて、日本人も消費を奨励して行く必要が有るように思います。 それから、日本社会の仕組みとして、もう一つ私見があります。市場原理や競争原理が根本理念の自由主義は素晴らしいと思いますが、ここに来て弱肉強食の行き過ぎや、機会均等が担保されない中で、自由主義の破綻が格差となって現れてきました。日本人は「和を以って貴しと為す」と云うDNAを古来から受け継いでいるので、欧米・アングロサクソンのような徹底的な競争は、実はあまり好んでいないと思います。本当のベースの部分では老若男女を問わず社会保障に拠る安心を徹底的に確保し、その上で自由かつ公正な競争をして行くほうが、日本人には向いているし、日本人にとっていちばん力が発揮できる環境だとも思います。BI(ベーシック・インカム)の思想をもう少し研究し、安心の上での自由競争を確立することが、日本民族の幸せに一歩近づく事になるのではと思います。 21世紀に入って、アッと云う間に10年が過ぎてしまいました。日本では平成の時代に入ってから、失われた10年とか15年とか云われる様になりました。私のような年代の者にはさほど辛くはありませんが、若い人たちにとってはとても酷な事だと思います。10代・20代の人たちにとって、一番輝いているはずの時代を失われた時代のような否定的な捉え方は、ややもすると自己の否定にも繋がってしまいます。 バブルに踊ったのも、バブル崩壊で落胆したのも、デフレや円高も、年金に対する不信等の問題もすべて日本には必然的なことで、成熟社会になる道程では、起こるべくして起きた事だと思います。それを失われた時代と呼ぶ必要は無いと思います。 若い人たちが、意味のある時代を生きていると思えることが、自信回復につながり、日本が元気になるための本当の解決策になると思います。 |
2011.01.1UP 「再考の時?」 平成23年の年頭にあたり謹んで新年のご挨拶を申し上げます。皆様におかれましては、健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。 昨年は、愛知組合で第28回管工機材・設備総合展が行われました。このデフレ大不況の中、メーカー様には大変協力的にご出品を頂きました。豪華で工夫の施されたブース展示も多く、会場にいっぱい華を添えて頂きました。そして、管機連の関係の皆様を始め、大勢の方にご来場を賜りました。皆様のご厚情に感謝すると共に、展示会が無事にそして成功裏に終えられた事を心より御礼申し上げます。 今、愛知組合は人材確保推進事業に取組んでおります。今年度は2年目で、各種セミナー、組合ホームページの刷新、異業種モデル企業見学会等々この事業として行っています。その中でも今年度の目玉は、優良従業員表彰で有ります。今回は永年勤続表彰ではなく、会社や業界に貢献している人なら、若手の人でも皆で励まそうと言う趣旨で企画したところ、予想以上のエントリーでたいへん喜んでおります。愛知組合では青年部の活動も日に日に活発になって来ており、業界の中堅や若手が元気でいる事が、この不況の中に有ってとても救いになります。今後も若い人たちにとって、希望とやりがいが持てる業界で有り続けたいと思います。 さて、民主党政権になって1年半が過ぎました。当初は希望に満ちた船出だったわけですが、今はどうでしょう?もはや民主党政権に望みを託す人はほとんど居なくなってしまった感があります。民主党唯一のクリーンヒット「事業仕分け」も、第3弾を終える頃には身内の政務三役あたりから仕分けに対する批判が噴出し、党内分裂の様相を呈してきました。確かに現内閣が閣議決定したことを、すぐさま仕分けで覆していては、政府の権威はどこにもありません。政治主導も良いですが、肝心のリーダーが不在では、官僚から学級崩壊と批判されても仕方ありません。 最近の政治の混乱を見るにつけ、問題はもっと根源的なところにあるような気もします。ここ数年の外交・景気対策・教育・財政問題等々見ていますと、飛躍の批判を恐れずに言えば、日本の民主主義は本当に大丈夫なのかと疑いたくなります。お隣の国のスピーディな国家運営を見ていると、なおさら民主主義の手続きの煩雑さが、時間とエネルギーをとてつもなく浪費しているようにも思えます。またリーダーを生みにくい制度とも思います。国家の品格の著者・藤原正彦は「もしかすると自由も平等もフィクションかもしれない」と言っています。民主主義は絶対と言う固定観念を捨て、民主主義も虚構かもしれないと、もう一度腕組みをしながら考える時が来ているのかも知れません。 |
2010.10.19UP 会津藩と白虎隊(2) 1862年、徳川慶喜が公武合体派として朝廷との関係修復の為に京都に乗込み、その護衛役に会津藩が抜擢され、京都守護職には若干20歳の会津藩主・松平容保が就任しました。容保は孝明天皇の信任も厚く、また会津藩の精鋭千余名の兵は善く京洛の治安を守りました。しかし、時代の大きな流れは徳川から薩長のような新興勢力に傾いて行きます。 1863年(文久3年)8月、長州藩が倒幕に向けて京都に集結する8.18のクーデターを、薩摩藩の示唆により未然に防ぎました。しかしこの事から会津はことさら長州の恨みを買うことになります。翌1864年(元治元年)、長州は会津を叩き潰す目的で京都に攻め込みますが、迎え撃つ会津は薩摩藩の加勢を得て、激戦の末勝利します。世に言う「蛤御門の変」です。しかしこの政変を境にして流れが変わります。この時までは会津藩と薩摩藩は同盟関係にありますが、この後、薩摩藩・西郷隆盛が幕臣である勝海舟から幕府の脆弱さを知らされ、さらに勝の援軍を得た坂本龍馬が、薩長同盟を画策し実現して行きます。 その為幕府の親衛隊である会津はますます孤立していきました。また、薩長土肥の志士にとって、京都での市中見廻り組としての「新選組」は仇敵であり、その新選組の実質的なオーナーは会津藩であった訳ですから、仲間をたくさん殺された者から見たら、ますます会津は許しがたい存在となって行ったのでしょう。 次いで1868年(慶応4年)正月3日「鳥羽伏見の戦い」の幕が切って落とされます。会津藩を中心とする幕府側1万人の兵と、薩長土の藩兵4千人、各々が官軍の地位を賭して戦いに突入しました。直前に孝明天皇が死去し(12月15日)、朝廷内で実権を握った岩倉具視らの手に拠る王政復古のクーデターもあり、大政奉還後の実権を握る算段に大きな狂いが生じた慶喜は、一貫性の無い態度に終始し、この戦いにおいても充分な戦意は持ち得ませんでした。戦が始まって3日目の夜、慶喜は自軍の兵を捨て、そそくさと江戸へ帰還してしまいます。慶喜と行動を共にせざるを得なかった容保も、断腸の思いで最愛の部下達を京に残し、海路東下しました。 最高司令官・慶喜を失った幕府軍は急速に戦争目的を喪失し、対する薩長の新政府軍は勢いを強め、2月には江戸に向って進撃を開始しました。敵はもはや幕府と云うより、実質的な戦力である会津藩や新撰組にすり替っていました。容保も謹慎の意を表し、会津藩存続のために嘆願書を何度も朝廷側に奉呈しますが、受入れられる事はありませんでした。会津の山河を流血に染め上げる悲劇が刻々と迫っていました。 新政府軍はその後、皇族の有栖川宮 熾仁親王を大総督宮とした東征軍をつくり、朝廷の信認を得た形で江戸へ向けて進軍を続けました。3月15日に江戸城総攻撃を軍議で決定しましたが、恭順派として幕府の全権を委任された勝海舟と新政府軍西郷隆盛との交渉の結果、新政府側の要求をほぼ受入れると云う条件の下、4月11日江戸城は無血開城されることとなりました。 これによって事実上江戸幕府は滅亡し、ここに260年続いた徳川の世は終止符を打たれました。しかしここでも、恭順した徳川は赦されましたが、新政府軍と事実上刀を交えた会津は簡単には赦してもらえず、しかも容保は明治天皇から朝敵の宣告も受けてしまいます。 新政府樹立後、会津藩は庄内藩と同盟を結び(会庄同盟)、その後仙台藩や米沢藩等の奥州の雄25藩による奥羽列藩の盟約が交わされ、さらにそこに北越の6藩が加盟し、東北や越後(一部蝦夷も含む)の計31藩による奥羽越列藩同盟が結ばれていきました。幕府が消滅した後は、江戸から西の新政府軍対江戸から東の奥羽越列藩同盟軍との東北での戦いに変貌していきました。この列藩同盟の盟主には孝明天皇の弟輪王寺宮公言現法親王が就任しています。この時はまだ双方が我こそは官軍と云う意識で戦っていたようです。 会津白虎隊の悲劇はこの一連の東北戦争の中で起きてしまいます。慶応4年(1868年)8月、新政府軍はいよいよ、幕府方の首謀者で朝敵とされた会津藩の本丸に辿り着きます。板垣退助率いる新政府軍は、圧倒的な兵力をもって白河口、二本松を制し、若松城(鶴ヶ城)の目前まで迫ります。8月23日、軍が若松城下に突入すると、しばらくは篭城戦となりますが、会津藩の兵力に起死回生のすべは無く、9月22日ついに降伏をする事になります。 この時16、17歳の年端も行かない少年達で白虎隊は編成されていました。新政府軍が若松城下に突入後間もなく、白虎隊の二番隊は戸ノ口原の戦いで大きな打撃を受け、たくさんの戦死者を出し、さらに負傷者を抱えながら飯盛山へと落ち延びました。この飯盛山から若松城を眺めた時、あまりに大きな炎が燃え盛るのを見て、若松城が落城したと誤認してしまいました。城もろとも主君が滅びたのなら、もはや生きている意味は無いと少年達は考え、主君の後を追うべきと決断しました。総勢20名の若い志士達が互いの首や胸を刀で突くかたちで自刃を決行しました。翌朝奇跡的に蘇生した飯沼貞吉を除く19名がこの時絶命しました。戦争の悲劇、事ここに至れりと言える出来事です。 翌明治2年5月18日、箱館戦争で土方歳三が戦死、榎本武揚が新政府軍に降伏しました。戊辰戦争と呼ばれる明治の幕明けとなる内戦がここに終結致しました。 1862年、松平容保が運命の京都守護職に就いてからたったの6年であります。親も家も捨てて主君徳川に身を捧げると云う、武士道を貫いた結果が、藩の志士達が勇猛果敢であったが故に徳川に重用され、避けて通る事のできなかった運命が、たったの6年で会津藩を滅亡の淵に立たす結果となったのです。自らの意思で命を絶ったとはいえ、白虎隊も松平容保の公に殉ずると云う武士道的決断の犠牲者と言えます。 私が訪ねた、5月の会津若松の空はとても澄みわたっていました。 会津藩が迎えた結果はとても悲しいものですが、会津藩を守った本物の志士達の、決断は正しかったと訴えているかの如く、その空は青く透き通っていました。 容保も言いたいことはたくさん有ったと思います。会津藩校の「什の掟」にある「嘘をついてはならぬ」「卑怯なふるまいはならぬ」等の教えが、言い訳をさせぬが如く、容保の口を塞いだままです。 容保は何も語ろうとしませんが、今の日本人が、武士道精神の潔さ、卑怯を憎む心をもう一度取り返してくれさえすればそれで良いと、会津を訪ねる人に教えてくれようとしている、私にはそう思えてなりません。 |
2010.9.21UP 第28回 管工機材・設備総合展開催に当たって 「第28回 管工機材・設備総合展」の開催に当たり一言ご挨拶申し上げます。 私共、愛知の管工機材組合は、昭和38年に東京、大阪に次いで発足いたしました。その発足と同時にこの愛知管材展も産声をあげ、以来歴史を重ね、この度28回目の開催を無事迎えようとしています。これもひとえに出品メーカー各社様の格別のご理解とご支援、関係官庁並びに愛管連様をはじめとする関係諸団体各位のご指導とご協力、さらには管機連傘下の各地区組合各位のご理解とご協力の賜物と衷心より感謝申し上げます。 さて、ご承知のように民主党の代表選挙により菅政権の続投が決まり、即座に円高対策が講じられました。参院選で敗北した現政権は少し自信喪失の様相でしたが、この勝利で自信回復を図り、より積極的により思い切った政策を断行していただきたいと思います。今の日本経済の根本治療には、円高対策も含めた大胆なデフレ阻止の政策が必要なのでは無いでしょうか。 設備投資関連・住宅投資関連である私共の業界は、大変厳しい環境下で慢性的なデフレ状態に有ります。市場はますます収縮している中、ユーザーからは更なる値下げ圧力が掛かります。自由競争の世界とは言え、節度も無く戦いに明け暮れれば、デフレは止まらず、業界は傷つき痛むばかりです。業界全体の発展を願う組合としましては、国の政策に頼るだけで無く、業界内での無益な競争を避け、価格以外の価値を磨き上げる等、自助努力によるデフレ脱却の道を模索していく必要が有ります。 このような厳しい環境の中、第28回愛知県管工機材・設備総合展が行われようとしています。この展示会は業界の最大のプレゼンの場で有り、組合にとっても存在意義を実感できる場であります。出品者の皆様には、開催に照準を合せての新製品開発も見られ、さらに展示方法も年々趣向を凝らしたものが増えてきており、その熱意に本当に頭が下がる思いで有ります。また今回の展示会は環境設備をテーマとしています。業界全体で環境問題に取組み、技術や性能を高め、エコ意識の向上を皆で共有し、管工機材業界が未来の地球環境において他を一歩リードし、併せて無益な競争ではなく有益な共栄の道を探るきっかけとなれれば、私共主催者としては大きな喜びであります。 |
2010.8.10UP 禁止主義と許可主義 欧米と日本を比較する際に「禁止主義」と「許可主義」と云う視点は、実に善くそれぞれの国柄を表わしていると思います。これは国の統治システム、すなわち政府と国民の関係性を比較しています。「禁止主義」の最右翼の国米国と日本の比較をしてみますと、米国ではやってはいけないと政府が決めたこと以外は、やっても良いと云うルールになっています。厳しい禁止ルールはあるのでしょうが、案外自由度は高いように思います。一方の日本は「許可主義」でお上がやっても良いと決めたこと以外は、やってはいけない事になっています。何をやるにもお上の許認可が必要で、自由度は低く、国民は子ども扱いされているように思います。 禁止主義にも欠陥は有ると思います。例えば、米国は新自由主義の台頭でより自由の幅が広がり、その結果金融資本主義の行き過ぎが見られました。ハゲタカファンドなる者が跋扈し、多くの金融資産の価値を下げ世界中に迷惑をかけました。禁止ルールが甘かったといえるかもしれません。かたや日本では民営化が叫ばれて久しいですが、お上の許認可はゆるむわけでなく、結局は独立行政法人や特殊法人の存在が民営化を遅らせ、「政府の許可」と言う権力を温存しています。本当の民営化は、国民をもっと大人扱いする事ではないでしょうか。 20年ほど前に、日本では企業の労働時間が週40時間と言う厳しい規制を受ける事になりました。海外から「フェアーな国際競争を」と云う大義名分もあり、労働時間を欧米並みに減らしましょうという事で、政府から民間企業に強い圧力がかかりました。もともと、資源も無くそれほど肥沃な大地も持ち合わせていない日本が、戦前欧米列強と肩を並べて来られたのは、勤勉さや技術力、教育レベルの高さが有ったからではないでしょうか。「勤労」が日本を支えてきたはずです。それに対してお上は、労働時間を減らす事で勤労を否定し、ゆとり教育で教育レベルを低める努力をしてきました。これは戦後、米国統治下のWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム=日本弱体化政策)の続編を、おかしな事に日本のお上が追従しているように思います。 公務員は基本的に他と競う事がありません。ライバル会社がいないからです。民間企業は他社との競争に打ち勝つためには、労働時間を増やしてでも頑張らなければいけない時も有ります。40時間もゆとり教育も労働意欲の低い公務員のお手盛りの制度としか思えません。日本人の勤労意欲を減退させて喜ぶのは、日本の許可主義をよく研究している、欧米やアジアの列強ライバル企業に他なりません。 |
2010.7.31UP 会津藩と白虎隊(1) 5月の連休に福島県を訪ねてきました。福島で景色を楽しむなら猪苗代湖と磐梯山、歴史を探索するなら飯盛山と鶴ヶ城のある会津若松ではないかと思います。今回は私も、歴女(歴史に親しむ女性)に負けじと、幕末の歴史を探索して見たくなりましたので、維新の時代における会津藩の、歴史の必然により起こった悲劇を描かせて頂こうと思います。 1853年6月、米国のペリー提督が東インド艦隊の軍艦4艘を引き連れて浦賀沖に現れました。黒船来航です。ペリーはフィルモア大統領の親書を携え、日本に開国を迫りました。18世紀後半には英国で産業革命が起こり、19世紀には欧米列強が新しい市場を求めて、アジアに進出してきました。隣国の清はアヘン戦争で敗北し、英国にすでに門戸を開放していました。翌1854年1月ペリーが再び来航し、当時の日本政府であった徳川幕府が和親条約を締結しました。さらに1858年6月には大老井伊直弼主導のもと、日米修好通商条約が結ばれました。 ただこの条約は、かなりの不平等な内容であった事や、井伊が朝廷の指示を仰がずに独断で締結した事、その後の将軍の跡継ぎ問題等も重なり、水戸藩などから大きな反感を買うことになりました。その反動に対し井伊はさらに厳しい処置を取り、攘夷派の武士たちを次々と弾圧、ついには長州藩の精神的支柱である吉田松陰などを処刑する、世に言う「安政の大獄」事件を引き起こしました。 しかし1860年3月春の雪が降りしきる中、水戸藩士を中心とする攘夷派が、江戸城桜田門にて、幕府が一方的に開国したことが許せないという理由で大老井伊の隊列を襲い、その首を取りました。 桜田門外の変の後、水戸藩はその余勢を借り、また徳川御三家の一つでもある事から、幕府内で勢力を伸ばして来ました。そして水戸藩一橋家出身の慶喜が朝廷の命もあって将軍の後見職となり、公武合体派として京都に乗り込みました。その時「京都守護職」と云う新しいポストができました。 その大変な役目を担う事になったのが会津藩主であり、当時まだ20歳の松平容保でした。 この時、藩内では公武の政争に巻き込まれ、更には薩長の標的にされるだけで、良い事は一つも無いと猛反発を受けましたが、武力が整い、慶喜を護れるのは会津藩しかないと幕府に説得され、容保は最後は「火中の栗を拾う」決断をしました。会津藩松平家は徳川御三家の次の親藩でも有り、御三家筆頭・尾張藩のたった一つの分家でもあったそうで、傍観する訳にはいきませんでした。しかし衰退必至の徳川幕府と知りつつ意を決する様は、私を捨てて公に殉ずる武士道精神そのものだと思います。容保がこの苦衷を 「行くは憂し行かぬもつらし如何にせむ、君と親とを思うこころは」と詠んで父親に宛てました。 父である松平義建の返歌は 「親の名はよし立たずとも君のため、いさお現はせ九重のうち」とあり 親も家も捨てても良いので主君のために身を捧げなさいと、息子の決断を後押ししました。しかしこの決断が会津藩を滅亡の悲劇に引きずり込むことになります。 容保が潔い決断をした背景には、会津藩の祖である保科正之の教えが強く影響していると思われます。1643年正之公は32歳で東北の戦略上の要である会津23万石の藩主となりました。さらに儒学にも造詣が深く、家臣に対し精神的なバックボーンを明確にしようと、1668年に会津藩の家訓十五条を制定しました。その教えを藩内に広めようと後の1803年に田中玄宰の手によって「藩校日新館」が開学されました。そこには「主君の馬前で死す」と云う教えがあり、また「父母の恩」「君の恩」「師の恩」という武士の子が守るべき忠孝の道も説かれています。また「什の掟」と云う教えの中には、「ならぬことはならぬ」という根本原則を説くものが有って、理屈ではなく原理原則が大切と、今の教育に最も欠けているもをここでは見ることができます。この教えが現代の「あいずっこ宣言」に生きていると思います。(このあいずっこ宣言を写真に収めてきましたので最終面に載せます) 新渡戸稲造が「武士道」を表しました。新渡戸は日本人の道徳観は武士道によって育まれたと云っています。保科正之の教えや日新館には、この新渡戸の云う武士道に相通じるものがたくさんある様に思います。道徳観は法律を超える教えもあり、それを知っているものに取っては、現代の法令順守(コンプライアンス)と云う概念は、何をいまさらと思えるものがあります。話が少し横道にそれましたが、容保の決断は武士道を知った者としては、たとえ不利益とわかっていても、滅亡を予感していたとしても、しなければならないものだったのでしょう。 歴史は、常に坂本竜馬や西郷隆盛、新撰組などにスポットライトを当てています。会津藩は歴史の裏側にしか存在しませんが、逆賊と言われる立場のものにこそ武士道精神の潔さを備え、日本人が失ってはならない魂があるような気がします。 次刊ではそのあたりも描いてみたいと思います。 |
2010.7.20UP 国政への期待 2009年に鳩山新政権が誕生し、新しい時代の幕開けが来たと、誰もが大いに期待しましたが、8ヶ月で首相・幹事長辞任となりました。これも政権交替内閣と位置づければ、良い予行演習になったと思えなくも有りません。続く菅総理率いる内閣や党要職の顔ぶれを見ると、若気ではあるがまさに民主党の本格政権と言え、前よりは実行力に期待が持てます。 リーダーの仕事は、すべてを自分がこなす事ではないと思います。理念を発信し、方策を明確にしてそれを部下に指し示す事だと思います。内閣においては、適材適所に配置された大臣と有能な官僚が、総理より示された方策を確実に実行し成果を上げる事が求められます。そして、最重要課題においてはリーダー自らが先頭に立って取組む、そんな姿勢が望まれます。 小泉元総理は善悪は別にして、リーダーシップは発揮していたように思います。社保庁改革、金融機関の健全化では有能な大臣に任せ、米国との関係強化や北朝鮮との政治問題、或いは郵政民営化などの国の根幹に関わる問題では、自らが先頭に立ちました。 鳩山前総理は「友愛」が信念で、「政治主導」が旗で、「命を守る」が政治理念でした。発信が独りよがりで、閣僚や官僚に指示が伝わっているとは思えません。理想は高くて素晴らしい物がありましたが、実行力は全くのナッシング、これほど何一つ実行できなかった総理も珍しいと思います。60歳過ぎても子供手当てを貰っているような自立できてない人に、リーダーシップを求めるのは所詮無理な話かもしれません。唯一仕事をしたと言えるのは、最後に小沢幹事長と抱きつき心中した事ぐらいです。友愛の信念をまげて自爆テロに突っ走った瞬間でした。 菅新総理には是非強烈なリーダーシップを発揮していただきたいと思います。政治主導は官僚排除とは違うと思います。有能な官僚を政治家が使いこなせれば、こんな良いことは有りません。また内閣にも党にも民主党の優秀なプロパー議員が配置されています。それぞれが実力を発揮できる舞台を菅総理が用意できれば、かなりの成果は期待できると思います。、時には独裁者と思われるぐらいのリーダーが、日本人が国民としての誇りを取り戻せるなら有っても良いと思います。 |
2010.6.27UP 武士の情け 某有名大学のラグビー部の話をします。数年前のことですが、当時も大変にラグビーでは強豪の大学です。そこの監督が就任2年目ぐらいに、これからは「アルティメイト・クラッシュをテーマに戦う」と宣言しました。この「アルティメイト・クラッシュ」の日本語訳は「完膚なきまで敵を叩きのめす」と云う意味だそうです。そのテーマの通り戦力も戦術も充実させ、その大学は数年間勝ち続けました。対戦相手は文字通り、完膚なきまで叩きのめされたわけで有ります。しかし、ラグビーと云うのはご存知の方も多いと思いますが、ノーサイド精神に象徴されるように、戦いが終われば敵も味方も無く、勝者も敗者も互いに相手を称え合うと云う、紳士の国・英国の騎士道精神が存分に注ぎ込まれたスポーツです。だからわざわざ試合終了をタイムアップではなくノーサイド(敵味方のサイドは無し)と表現します。 いったい、ラグビー、否他のスポーツでもそうですが、相手を完膚なきまで叩きのめす必要が有るのでしょうか。スポーツですから勝負にこだわる気持ちは否定しません、しかし勝って嬉しい気持ちは解かりますが、敵をとことん叩きのめす事に爽やかな勝利感が得られるのでしょうか、私は違うと思います。 少し前の郵政選挙で、郵政民営化に反対する議員には味方でも刺客を送るなどして、徹底的に潰しにかかると云う手法に見られるように、競争原理が至上命題かの様な小泉元総理の手法と、この「アルティメイト・クラッシュ」はちょうど時期も同じで、どこか共通点が感じられ、当時の世相を表していたと思います。 武士道に「惻隠の情」と云う言葉が有ります。相手に情けを持つということです、いわゆる武士の情けと云うのはこの言葉から来ているといっても良いでしょう。日本人は元来、相手を徹底的に打ちのめすという考えは持ち合わせていないと思います。商売においても自由競争の原則は大切ですが、良いライバルがあって、お互いがリスペクトする中で共に成長するべきだと思います。相手を破壊(クラッシュ)するまで叩きのめして勝利しても、後味の悪さしか残らない、そんなふうに私は思います。 |